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節分

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの行事が執り行われます。

節分の行事は宮中での年中行事で、追儺と呼ばれていました。

宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われています。それが江戸時代に庶民の間に広まり、豆まきをして悪鬼を祓う習わしになりました。

節分

 

豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。

江戸時代に寺社仏閣の中で節分会の行事を大々的に行ったのは浅草寺が最初と言われています。その日は観音様の前には人でいっぱいになり、そこには鬼がいないということから「福は内」と叫ぶようになったと言うことです。