張子人形とは
歴史と由来
一言で言いますと
「張子とは和紙を型に張り重ね、乾燥させた後、型から抜き取り、彩色をして作り上げたもの。」
です。
張子の技術が日本に伝えられたのは室町時代(1393-1573)に中国からと言われています。
素材の和紙は、当時はモノを書き損じたり不要になった「反古紙」と呼ばれるものを使用していたため、比較的安価に手に入ることもあり、役所や商工業に盛んな地域である城下町を中心に全国的に作られ始めました。(その他和紙の産地でも栄えてきました。)
江戸時代には広く庶民の日常にとけこみ、達磨や干支など様々な人形が作られてきました。
その他、その地域地域での風俗をあらわした人形が各地で作られるなど細分化される一方で、江戸時代後期には流行りものの「歌舞伎」「舞踏」「力士」なども数多く作られ、犬張子や福助、招き猫などの縁起物も同時に流行しました。
そんな古い歴史のある張子人形ですが、現在ではわずかに地域の特産物として人形制作の伝統を守り続けているところがあるくらいで、残念ながら職人の後継者不足と素材の和紙職人と需要の減退もあり、製作者は減り続けています。
素材
張子の原料となる和紙は2世紀に中国で発明され、日本には推古帝の605年に伝来されました。
当時日本では楮の繊維を使って紙作りが行われ、雁皮、三椏が用いられるようになりました。
その素材の和紙は、昔は日常的に使われていたものですが、パルプが主流の現在では和紙は非日常性のものとなり、非常に高価なものになってしまいました。
特に張子人形の素材として使用されていた反古紙は、特徴として繊維が強いものでは無く指で容易に千切れるような柔らかさが必要なため、市販されている和紙では使い勝手が悪いため「張子紙」という特殊な和紙を使用しなければなりません。
現在その「張子紙」を漉く和紙職人は日本では一人、しかも埼玉県にしかいない状態で、和紙の値段も非常に高価になっていましたが、2014年現在廃業されました。
こちらの存続も今急がれています。
見所(醍醐味と鑑賞方)
張子は「型」に外側から和紙を張って行くため、型本来の細かい線が出ません。
そのためほんわかとした癒し系が特徴になりますが、どうしてもぼんやりした造形になります。
そこで人形としての見せ場は「彩色」になります。
人形の形をキャンバスとして如何に魅せる彩色を施すかということに製作者としての力量が問われますので、そこが鑑賞の肝となるかと思います。
また、600年の歴史があるため、人形の題材も今では忘れ去られている風習など日本土着のものが数多くあります。(学問の神様の天神や子守人形、祭礼の力石人形など)
「古いもの」と一蹴せず、是非その背景に流れている風俗や歴史、人々の思いや願いも理解して行くとより味わい深く感じるかと思います。(個々の商品説明の欄でそれぞれ詳しく解説してあります)
張子の現在・位置付け
現在では張子職人はほとんどいません。
昭和後期から目に見えて職人が減り始めました。
世代的に当時のベテラン職人さんが相次いで引退する時期でもあり、またバブル景気もあり地味な職人への後継がなかったという時代の潮流でもありました。
しかしながら今では貴重な技術保持者として重宝されています。
手作りなので細やかな注文にも応じられ、大量生産には出来ない小ロットでの特注品や遊び心にも応じられます。
また、和紙で出来た人形は世界的にも珍しく、高温多湿な日本の風土に強い和紙の特性を最大限引き出した日本ならではの伝統工芸と言っても過言ではないでしょうか。