春日部張子の豆知識

招き猫

招き猫は日本を代表する縁起物です。

招き猫の発祥については諸説あります。江戸城築城の立役者・太田道灌を導いた黒猫、江戸吉原の傾城・薄雲大夫を救った三毛猫、彦根藩主・井伊直孝を難から救った、いわゆる世田谷豪徳寺招福猫児縁起、貧しい老婆が見た猫の夢が商売繁盛をもたらしたという今戸の丸〆猫、など。

いずれも幸せを招き福をもたらした健気な猫の伝説です。一方で中国の諺にある「猫面を洗って耳を過ぎれば即ち客到る」という言い伝えに根ざしているとの説も有力です。しかしながら今のところ「一番最初の招き猫」については特定出来ていません。

長い歴史の中で形作られてきた招き猫にはその色、形にもそれぞれ謂れがあります。

  • 右手挙げは「お金招き」
  • 左手挙げは「人・お客様招き」

招き猫

そして挙げた手が高い程より遠くから福を呼ぶと言われています。
また、

  • 白は福招き
  • 赤は健康招き
  • 黒は厄除け
  • 黄は金運招き
  • 桃は恋愛成就

と言われています。

また、2月22日は「ニャンニャンニャン」と読めることから猫の日。同じく9月29日は「来る福・くるふく」と読めることから招き猫の日、と日本記念日協会に正式に制定されています。

だるま

数ある縁起物の中でも最古老は何と言ってもダルマです。

室町時代に禅の教えと共に伝わり、江戸時代には起き上がりになり、今でも愛されている超ロングセラーのマスコット。何度転んでも又起き上がる只者ではないのがダルマです。

そのダルマは今から1600年ほど前のインドの王子、菩提達磨がモデルで150年生きたと言われています。また、仏教の布教のため中国に渡り禅宗の祖としても有名です。
ダルマは修行のため中国の少林寺の洞窟の岩壁に向かって9年間座禅を組み続けたそうで、その時の姿が今の「ダルマ」の形の元になったと言われています。

その時着衣していた赤い法衣、睡魔に負けないようにと瞼を切り落としたためのギョロ目、ずっと座禅したままだったので衰えてしまった手足、など。
そんなダルマですが、ダルマの起き上がり人形は実は日本人の発明品です。インドで生まれた達磨大師が「起き上がり」になって日本だけの縁起物になりました。

ダルマは長い歴史の中で玩具や土産物、縁起物として親しまれてきましたが、何と言っても目に付くのが「縁起物」でしょう。

だるま

 

選挙でダルマに祈願して当選を喜ぶ姿はテレビでもよく見かけます。
縁起物のダルマの使い方としては、願をかける時向かって左目に黒目を入れます。
」という文字を書いてそれを丸く塗りつぶし黒目にします。

願が叶ったら向かって右目に今度は「」という文字を書いてそれを丸く塗りつぶし黒目にします。
なぜ阿と吽なのかと言いますと「阿吽」という言葉から由来し、阿は物事の始まり、吽は終わりを表し、何もないところから願いが現実になりました、と言うことを意味しています。

 

犬張り子

医療が十分に発達していなかった江戸時代は子供が病気や怪我で亡くなることは多々ありました。そのため親が子供に与えるおもちゃにはお守りとしての想いが込められたものも多くあります。
その最たるものが犬張子でした。犬は安産で多産であったため子供の成長祈願として出産見舞いやお宮参りの贈り物とされてきました。

笊被り犬張子

笊被り犬張子 

笊被り犬張子の謂れは、風邪を引いても鼻が詰まらないようにという願いを込めて水通りの良い笊が被せられています。

また、「竹」で出来ている笊を「犬」が被っていることから、「犬」という字の上に「竹」かんむりを乗せると「笑」という字に似てきます。

そのため、笑顔の絶えない元気な子に育って欲しいという願掛けも入っています。

でんでん太鼓犬張子

でんでん太鼓犬張子

でんでん太鼓犬張子の謂れですが、元々は子供をあやすために太鼓が添えられていました。

その他、太鼓の面はどちらが裏か表か判断できないことから「裏表のない素直な子になりすように」という親の願いも込められていると言います。

また、太鼓だけに「打てば響くような聡明な子になりますように」という願いもこめられているとのことです。

 

節分

季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うための悪霊払いの行事が執り行われます。

節分の行事は宮中での年中行事で、追儺と呼ばれていました。

宇多天皇の時代に、鞍馬山の鬼が出て来て都を荒らすのを、祈祷をし鬼の穴を封じて、三石三升の炒り豆(大豆)で鬼の目を打ちつぶし、災厄を逃れたという故事伝説が始まりと言われています。それが江戸時代に庶民の間に広まり、豆まきをして悪鬼を祓う習わしになりました。

節分

 

豆は、「穀物には生命力と魔除けの呪力が備わっている」という信仰、または語呂合わせで「魔目(豆・まめ)」を鬼の目に投げつけて鬼を滅する「魔滅」に通じ、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあります。

江戸時代に寺社仏閣の中で節分会の行事を大々的に行ったのは浅草寺が最初と言われています。その日は観音様の前には人でいっぱいになり、そこには鬼がいないということから「福は内」と叫ぶようになったと言うことです。