「張子人形」とは和紙を型に「張って」作成する人形のことです。簡単に言うと「和紙で出来た人形」となります。
その歴史は意外と古く、平安時代にはその雛型のようなものが作成されていまして、江戸時代になると広く庶民の間に普及し、様々な地方で様々なバリエーションの人形が制作されていました。
流行した背景には、素材が和紙なので身近であったこと、しかも陶器と違って軽く、落としても破損することが少なく、高温多湿な日本の風土に「和紙」は非常に強く扱いやすかった、という利点もあったように思います。
また歴史的に農家が農閑期に着手したり、武士の内職で着手したりと、制作をするにも比較的ハードルが低かったのも一因だと思います。
そのため、日本の各地域の風俗に根付いた作品も数多くみられ、例えば農業が盛んな地域は「牛」「馬」などの人形が多かったり(福島の赤べこなんかはその典型ですね)南蛮人が多くいた地域は「南蛮人形」など、クジラ漁が盛んな地域は「クジラ人形」などが見られます。
また時代に即した作品も見られ、江戸当時の神社の風俗行事を表わした「力石人形」、戦中になると「軍人人形」「軍艦」など様々なバリエーションが見られます。
これらは歴史を紐解く上でも重要な資料となるらしく、大学の「日本の風俗」を研究している教授などは当方の古い郷土玩具コレクションを資料として見に来ることもあります。
それほど隆盛だった張子人形ですが、昭和の頃から段々と陰りが見え始めます。
時代的にバブルとなり華やかさが求められていたのもありますし、職業としても最先端ではないものとなり、今からしてみるとその古臭い魅力が下に見られるようになったように感じます。当然若い人たちにも魅力のある仕事には映らず、徐々に後継者も不足し、廃絶の道をたどることになりました。
当時、日本橋には「東急百貨店」がありました。いわゆる白木屋ですね。残念ながら平成11年の1999年に閉店し、創業336年の歴史に幕を閉じてしまいました。
その日本橋東急百貨店では戦後すぐに「全国日本郷土玩具展」なる催しが催事場で毎年12月に開催され、北海道から沖縄まで張子人形を含めた土人形などいわゆる「郷土玩具」が県別に展示販売されていました。
まだ当時は日本全国には張子人形など郷土玩具の作り手さんがたくさんいらっしゃって、古き日本の歴史を紡いでいました。
そして当然それらのコレクターの方も多くいらっしゃいまして、百貨店開店前から熱烈なマニアの方々が行列を作り、開店後は催事場に走って殺到し、当時既に高齢だった方の作品や、希少価値の物、遠くて買いに行くことのできない地方の玩具などを我先にと購入する姿が見られました。
当方はその催しで「実演」しながら販売する立場でしたが、その一方でコレクターでもあったのでお客さんに交じって買い物をしていました。今となっては信じられない光景でした。
その催しは日本橋東急が閉店した後、場所を渋谷の東横東急に変えて、確か2年ほど行いましたが、戦後65年目を迎えた「第65回全国日本郷土玩具展」を最後にその催し自体が無くなりました。その頃には残念ながら需要が消えていった、という時代背景がありました。
今では張子人形を制作しているところは僅かです。でも時代が一回りして最近では若い人にも興味を持って貰えることが増えたような気がします。
このブログを読んでもし少しでも張子人形に興味を持って頂ければと思います。